脳の働きについて色々と考える その2
座頭市が気配に敏感なように、本来なら視覚に使用される脳細胞や神経回路を、触覚や聴覚、嗅覚や方向感覚などに転用しているのでしょう。
視覚情報はデータ量が膨大なので、その分の神経回路を他の感覚に使用すれば、他の感覚はより豊かなものになるのは当然です。
また、目が見えない方は、記憶力が素晴らしいと聞いたことがあります。言われてみれば頷けますよね。どこに何を置いたかを覚えていなければ、彼らの生活は成り立ちません。
幻視痛(失った手足の痛み)の研究で有名なラマチャンドラン博士によると、事故や戦争などで手足を失った人の脳では、失った部位の感覚を担当していた脳細胞が、時間が経つと別の部位の感覚を担当するようになるということです。
ある腕を失った男性は、元々は腕の感覚を担当していた脳の神経細胞が、後に頬の部分の感覚を担当するようになりました。彼はないはずの腕が痒いとき、頬を掻けばいいことに気付いたのです。
置き換えが起きたばかりの頃は、脳のその部分が活動すると、元の部分への刺激だと感じてしまいますが、多分時間が経てば、脳は置き換えが起きていることを学習すると思われます。
こうしてみると、脳も私達と同じで、自分のそれまでの仕事がなくなり失業したからと言って、そのまま遊ばせてはもらえません。次の仕事を命じられ、休み無く働くのが宿命のようです。
私達の脳は、より必要な部分に多くの神経細胞を使用するため、手や顔(特に唇)などは多数の神経細胞を使用し、身体の大部分を占める体幹の感覚などは、少ない脳細胞で賄われています。
そして、生存のために必要なことから優先的に神経の回路を強固に形成し、不要な部分は簡素化していきます。
自分の好きなこと、興味にあること、得意なこと、身につけざるを得ないことなどにも脳の回路を優先的に使っていきます。これは繰り返しそのことについて考えるからでしょうね。
動物実験でも、訓練によってその部位が使用する神経細胞の量が変化することが確認されていて、例えば指揮者なら、音を聞き分けるための細胞は私よりかなり多いはずですし、指先の感覚で言えば、私の方が多くの神経回路を使っているはずです。
繰り返し行われる訓練は、脳細胞の担当地図や、神経回路の変化をもたらすのです。 上達=脳の変化と考えることも出来るかも知れませんね。
脳細胞の担当替えが出来ることを考えると、脳卒中などの麻痺に対しても、回復の可能性が生まれてきます。
筋肉を動かすときには、脳の運動中枢から一次指令が出て、大脳基底核や小脳などの運動を調節する部門を経由し、反射などを担当する現場監督である脊髄を経て筋肉に指令が届きます。
脳卒中による麻痺は、一次指令を出す運動中枢からの指令が途絶えることで起きますが、他の中枢達が生きてさえいれば、この中枢をどこかご近所の脳細胞が肩代わりしてくれればいいわけです。
過去のリハビリでは、元々担当していた脳細胞の生き残りに訓練を施して機能を回復させようとするイメージでしたが、新たなリハビリの考え方では、赤ちゃんのように「一から動きを覚え直す」ことで、新たな神経回路を形成し、運動機能を獲得するというものもあります。
また、一次中枢からの入力はなくても反射は生きているので、片麻痺の人が足漕ぎ車いすを器用に両足で漕いで乗りこなすという事実もあります。
例えば私達が歩くときには、脳の一次中枢が、はい今度は腸腰筋と大腿四頭筋を収縮させて、右足を10センチ挙げたら、踵から着いて、大臀筋を収縮させて蹴り出して、今度は左足…などと運動を細かく指示するのではなく(たぶん)、足底や関節、視覚情報や三半規管からの平衡感覚などの入力情報により、一次指令以下の運動調節機構が働いて動いている部分の方が大きいわけです。
一次中枢が機能しなくても、上手く反射を引き出すことが出来れば、筋肉はスムーズな動きを取り戻すことが出来るのです。 実際の動きを獲得することで、一次運動野の形成を促進できる可能性もあります。運動を行うときには、脳は動きをイメージするので、イメージに合わせた回路が形成されるのではないでしょうか。
0コメント