人生の苦しみについて考えてみた
誰でも自分のことばかり考えていると視野が狭くなる。
だから第三者である立場から、違う視点で物事を見てみようということで、今回は引きこもりについてというより、人生の苦しみや困難な問題について考えてみた。
私が想像する、人生で最も辛く苦しい状態は、親からの幼い子供に対する虐待だ。
幼い子供にとって親は世界の全てであり、自分を守り、愛情や安心を与え、人として生きるための基盤を作ってくれる存在のはずだ。
その親が自分を苦しめ、脅かす恐怖の対象であれば、子供は人を信じることが出来なくなるだろう。当然のことだ。
そして虐待する親は子供を責める。
自分の未熟さを子供のせいにする。
幼い子供は客観的に親や自分を見ることなど出来ないから、自分が悪い子だから痛い目に遭うのは仕方ないと感じるだろう。
そんな風に育った子供は、自分自身を信じることもひどく困難になる。
子供が成長し、親の支配から解放された後もその影響は一生残る。それが何よりも大きな罪だと私は考える。
シリアでは今も内戦が続いている。
身近な人が殺され、多くは家を追われる。場合によっては自分が人を殺さなければならないかも知れない。
世界には、そんな過酷な環境で生きることを余儀なくされている人が沢山いるのだ。
自分の暮らしている場所で戦争が起きている。その不安と恐怖、苦しみや憎しみはどれほどのものか、私には想像も出来ない。
アフリカやアジアの特に貧しい地域、中東などの一部では、女性や子供の人権は完全に無視され、人の尊厳も安全も存在しないような場所が沢山ある。
幼い子供が学校にも行けずに働かされ、暴力やレイプも日常茶飯事。
何かを変えたくても、選択肢もチャンスも与えられない。
犯罪が犯罪として認識されず、警察官が暴力を振るい、賄賂や不正が常識。 そんな地域では、正義や道徳心なんて「何それ美味しいの?」状態だ。
この記事を読んでいる人の中には、いじめに遭ったり、偏見や差別に苦しんでいる人がいるかも知れない。
病気や障がいで苦しんでいる人も沢山いるし、愛する人との別れも、誰もが経験する人生では避けて通ることは出来ない出来事だ。
信頼していた人の裏切りや、親しい人との確執で苦しんでいる人もいるだろう。
自分自身の失敗や挫折で絶望したり、罪悪感や自己嫌悪で苦しんでいる人もいると思う。自分で自分を許せないのは本当に苦しいことだ。
傍から見れば、中学生の失恋と、自分の子供を事故で亡くすことは別次元の出来事で、苦しみの度合いは比較にならないように思える。
実際失恋した中学生が高校生になる頃には、もう思い出すことさえないような些細な出来事になっているだろうし、子供を亡くした親の苦しみは、以前にも増して大きなものになっているかも知れない。
その出来事が人生にもたらす意味は、あまりにも違いすぎる。
でもその瞬間だけを取ってみれば、本人の辛さには、もしかすると大きな違いはないのかも知れないと私は思うのだ。
身体の痛みも、病気や傷の深刻さと必ずしも比例するわけではない。
同じように、個人個人が置かれた状況の中で、苦しみの種類も、その深刻度も違って見えるけれど、当事者の辛さは、きっとどれも同じように、耐えられない程の苦しさなのだ。
だからその両者を、問題の深刻さや苦痛の度合いじゃなくて、別の決定的な違いから見てみたい。
幼い子供への親からの虐待。終わりの見えない戦争。貧困な国での子供や女性の人権無視などは、本人の努力ではどうすることも出来ない。
親や国が変わるか、誰かがそこから助け出してくれるのを待つしかないが、望みはほとんど無い。
そして、私達が幸せになれるかどうかは、その人が置かれた環境に加えて、その人の考え方や価値観に大きく左右される。
そこが変われば、同じ人間でも全く別の人生を送ることになるが、その部分のダメージが大き過ぎるのだ。
でも、学校や会社での虐めなら、そこから逃げ出すことはそれほど難しいことじゃない。 そして自分自身の問題なら、必ず解決の道がある。
自分自身の考え方や行動一つで、状況を劇的に変えることができる。難しいと思うかもしれないが、チャンスは常に目の前にある。
自分の思い通りに事を運べなくても、何もやらないよりはやって失敗する方がずっと良い。
良くなるための行動をして、上手くいかなくてもあきらめないことだ。
一番のコツは、自分や他人を責めるのは止めて、良いお手本を探して真似をする。何かを成し遂げる人は、恵まれている訳じゃなくて、自分の力で乗り越えていく人だと思うから、やっぱり踏ん張る必要がある。
ダイエットと同じで、あきらめない。投げ出さない。そうすれば、そんな難しいことをしなくたってきっと何とかなる。
まずは今から、昨日よりはましなことを一つやってコツを掴もう。
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