慢性疼痛の原因 その3
前回の記事を書いてから、ずいぶん間が空いてしまいました。すいません。先日、慢性疼痛について書きたくなるようなネタがあったので、前回の慢性疼痛2から半年以上経ってしまいましたが、久々に続きを書きたいと思います。痛みはとても主観的なもので、客観的な数値で、痛みの強さを計ることは出来ません。そのために研究も進まず、患者にとっては最も大きな問題でありながら、治療者サイドからは、ないがしろにされると言うか、あまり真剣に向き合ってもらえないような印象さえある困った問題、それが痛みです。今回もまた違った角度から、痛みの性質について考えてみたいと思います。痛み刺激を受け取る受容器は、皮膚を中心に内臓や骨膜など全身に存在しますが、受容器自体は痛みを直接感じるわけではなく、ただその信号を脳につながる神経に伝えるだけです。実際に痛みを感じるのは脳で、痛みを起こすような刺激自体が存在したとしても、脳梗塞などの障害でそれが脳までとどかなければ、私たちがその痛みを感じることはありません。「脳」こいつが絡んでくるからこそ、痛みを研究するのがやっかいになるのです。脳は、受け取った刺激をただそのまま使用することはせず、情報を処理し、操作を加えます。例えば視覚なら、盲点を周囲の情報から補填し、上下逆さに写っている像を修正し、動きのあるものに注意を向けるように仕向けます。聴覚にしても、耳に入ってくる音を全て均等に拾うことはせず、自分に関係のある音、危険を予感させるような音には注意を払います。他人の名前は耳に入らなくても、自分の名前を呼ぶ人がいれば気付きますよね。耳鳴りだって、一度気にしだすと耐えられないものになりますが、他のことに集中しているときには気になりません。また、あらゆる感覚には個人差があります。料理人なら味覚が敏感でしょうし、調香師は香りが、指揮者なら音に、私のような治療家なら触覚が敏感なはずです。鍛えることによって、そのために使われる神経細胞が物理的に増えることさえあるんですよ。それ以外にも、その場の状況が感覚を敏感にしたり鈍感にしたりする要因になります。精神状態や集中の度合い、健康状態も感覚を大きく左右する要因です。痛みも同じで、敏感な人や鈍感な人がいると言うだけではなく、その場の状況、例えばそこが戦場なら痛がっている暇はありませんし、友人と楽しい会話をして大笑いしていれば痛みは和らぐのではないでしょうか。そして前回の慢性疼痛の原因1、2で述べたように、神経過敏状態になったり、慣れによる鈍麻もあるでしょう。そしてここからが今回の最大のテーマ、脳が作り出す痛みです。(前置き長すぎ)痛みを起こす原因は身体の故障にある。私たちは普段、そんな風に考えます。だから頭が痛ければ脳出血か脳腫瘍じゃないか?腰が痛ければ、ヘルニアかもしれないし内臓から来ているのかもしれないと心配し、医者に行って検査をします。でも多くの場合、検査の結果は異常なし。短期間で治れば、痛かったこともそのうち忘れてしまいます。痛みは身体からの警告なので、必要がなくなれば消えるのが普通です。でも慢性疼痛の場合は、いつまで経っても痛みが消えない。これは多分、痛みの原因が身体的な問題だけではないからだと思われます。今までにも何度か書いたと思いますが、痛みは心の声でもあります。ストレスに気付かなかったり、それを見ないようにしていると、心は自分が壊れないための手段として、なんとしても本人に無理をやめさせるため、変えざるを得ない何かに気付かせるために、痛みとして声を出したり、病気にして動けなくさせたり、喘息やアトピーを発症させます。それらの症状は、自分を攻撃するためのものではなく、守るためにやむを得ず出している身体の声です。あるいは、自分を攻撃するための声もあるかもしれません。自分を許せない時、自分を罰したいと心が要求する時にも、身体は苦痛を感じます。そんな心の声と、単純な身体の故障の区別の仕方。端から見るとかなり予測がつくのですが、本人にそれを上手く伝えるのが難しいと私は感じていました。本人は、身体の故障を探すことに躍起になって、本当の原因に目を向けることがなかなか出来ないのです。先日NHKの番組が、痛みに関して、これを客観的に見分ける方法を提示してくれていました。慢性腰痛の患者の脳の活動電位を写した(PETかな?)画像です。この患者の腰に機械的な刺激を与え痛みを起こしたとき、脳は広範囲に反応します。多分、化学物質による刺激の入力や、筋肉の反応、それによって起こる感情の変化(苦痛や不快感)などをとらえているのでしょう。しかし、その患者が慢性の痛みを訴えるとき、その活動電位は理性を司る前頭葉に集中していたのです。その画像は、私たちの脳が、痛みを作り出していた可能性もあることを示唆していたのです。誰でも、今感じている痛みは、今現在の身体が起こしているものと考えるのが当然です。しかし考えてみましょう。私たちは脳に蓄積された記憶を活用し、過去の出来事を、いま、見たり聞いたりすることが出来ます。鮮明な記憶がよみがえり、過去の痛みを感じることも出来ます。それは気のせいではなく、確実に存在する痛みなのです。身体にとっては、私たちが想像と呼ぶものと現実の区別は実はとても曖昧です。子供は学校に行きたくないと思うと、実際に熱を出します。プラセボ(偽薬)効果は、血液検査の結果を変えるだけの威力があります。心はそれほどまでに、身体をコントロール出来るのです。
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