選択の基準
(前回からの続き)私は道を選ぶときに自分なりの基準を設けています。何が正しいか? 人として本来どうあるべきか? 最善の道はどれか? などとは考えません。迷っている時点で、「そんなものはいくら考えてもわからない」ってことを証明しているようなものです。自分がどちらの人になるかを決める。自分がなりたい人になれるように、そのための選択をする。そう考えます。端的に言えば、「魂の得する方を取る」端的どころか意味がわからない?それでは、具体例を挙げて説明しましょう。人生が思うようにならず、苦痛を感じたとき、1.「上手くいかない原因を数え上げ、ダメな自分や周囲の人間を責め続ける」2.「どうしたら良くなるかを考え、無理やりでも、自分が学ぶべきメッセージをほじくり出して、その経験を次に生かす」自分が原因で、人に迷惑をかけたり、辛い思いをさせたとき。1.「自分を許さず、罪悪感に苛まれて日陰の人生を生きる-自分だけが幸せになってはいけない」2.「相手に誠実に対応し、これからの人生の中で、本人には償えなくても、誰かの役に立てるように踏ん張って生きる」やりたいことがあるけど、なかなか踏み出せない。1.「やるための条件が揃うまで、行動は起こさずじっくり待つ」2.「やるための準備を具体的に始める。とにかく行動する。やらないのなら、今はやらないとちゃんと決める」私にとって、1は魂が損する選択。2が得する方です。実際に出来るかどうかは別として、2を選ぼうと決める。たとえ2が上手くいかなくても、1は選ばない。そう決意します。今の自分がそうじゃなかったにしても、将来近づけるようにがんばる、あるいは「なれたらいーなー」と考える。ポイントは、そうじゃない自分を責めないこと。ここ重要です。最後の「やりたいこと」が本当にやるべきことだったら、時期が来れば、やらざるを得なくなる可能性が高いので、無理して行動を起こす必要はないかもしれない。でも私がここで言うのは、やるべきだと感じているのにやらないのは、それ自体がストレスだと思うからです。こんなことを言うのは何ですが、迷っていて踏み出せないようなことは、やってもやらなくても、どちらでも大差ないことである可能性が高いです。どちらを選ぶかは、魂の選択として重要ではないかもしれない。でも、間違っていると感じていることをだらだらと続けることが良くない。だから、とにかく行動して、ちゃんと考えてみることをお奨めします。自分に厳しくすること=魂の成長ではありません。自分や他者を受け容れること。現実をきちんとみること。そこから魂の成長は始まるのではないでしょうか。
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