必要な治療? その1

今度はもう少し実行はしやすいけれど、もしかしたら、とてもつらいかもしれない治療です。
それは、親の育て方と、現在の自分との関係を見つめること。親子関係は、最近の私にとっての最大のテーマでもあります。
もちろん全ての人に当てはまるわけではありませんが、
あなたが自分で自分を許せなかったり、他者とリラックスした関係が作れなかったり、人生が生き辛かったりするのは、親の育て方に原因があるのかもしれません。
何も、あなたの親がひどい親であるとか、人間として問題であるとか、そんなことを言うつもりはないし、親に責任を転嫁して、現実から逃げようと提言するわけでもありません。
現実に対峙して問題の本質を見極め、解決の道を探るためには、自我を形成した子供時代の問題に触れないわけには行かないと思うのです。
赤ちゃんにとっては、親が世界の全てです。子供にとっては、親が人生のお手本で、親の考え方は、子供の価値観の基準になります。
お受験の面接の練習で、子供に対する教育方針について、あるお母さんは言ったそうです。
「わたくし達夫婦は、二人とも同じ特別な仕事をしていますが、子供には、それ以外の仕事をしている人たちを、見下したりしないように気をつけて育てています」お医者さんか何かだったようです。
これを聞いた人たちはみんな、この人の子供は、将来職業で人を判断するような人間になるだろうな、人を見下すんだろうなと、予想するのではないでしょうか。
ある人は、とても正義感が強く、仕事も優秀なのに、上司とうまくいかないために、なかなか社内で評価されません。
それだけ聞くと、なんだか理不尽なことのように思えますが、別の角度から見れば、その芳しくない評価には、それなりの理由もありました。
その人は、親から常にテストで100点を取ることをを求められ、90点でも叱られます。親から認めてもらうには、良い成績を取るしかありません。
善い行いをしたり、絵が上手かったり、クラス委員に選ばれ足りしても、親は褒めてくれませんでした。
この親の教育方針はなかなかに効果的で、こんな育てられ方をすれば、大抵は成績の良い子供が出来上がります。
上手くいけば、成績の良い大人になり、仕事の出来る人間になります。一流大学に入れるには手っ取り早い育て方かもしれません。
でも、その教育法が上手くいった場合にはリスクもあって、その子供が人を評価する時の基準が「人柄」や「行い」よりも、「成績」になってしまうことです。
成績の良い人のことは認めるけれど、成績の悪い人のことは馬鹿にしてしまう。相手が上司だろうが関係ありません。そうなると、人間関係は難しくならざるを得ません。
本人の基準は「成績=仕事内容」なのですが、それはテストの点数が良ければ優秀な学生として認められる学生時代の基準です。
成績の悪い(本人からすれば仕事が出来ないと感じる)人のことは、自分の先輩や上司であっても、心のどこかで馬鹿にしてしまう。
そんな気配が感じられれば、当然相手は不愉快になります。そんな人は、結果として人と対立することが多く、周囲からも浮いてしまう可能性は大です。
自分では、正義を行なっていると信じているので、本人には自分が攻撃されるのはひどく理不尽なことに思えます。
人にとって、仕事が出来ない人をバカにするのは正当なことで、責められるべき事ではないのです。
そのため、自分が先に人を攻撃しているから自分も攻撃されるのだということには、まず気が付きません。
別の例を挙げます。今度は親の側から見た子供です。
ご本人は優秀な努力家で、前向きで行動的。でも子供は普通の子でした。親ほどは優秀じゃなかったんです。でもその人は子供にも自分同様の高いものを求めました。
傍から見ると、全然責められる必要がないようなことで、子供は叱られることが多かった。明らかに要求が高すぎるのです。でも親であるその人には、子供も自分と同じレベルで出来て当然だと信じているので、子供がそれを出来ない理由が理解できません。
その子供は、いくつかの身体的な症状を出しました。本人は子供のために原因を探し、最善の治療を受けさせます。子供を愛しているので、一生懸命です。でも、相変わらず、要求は高いままでした。
子供は遂に、精神的な病気を発症しました。完治するのは困難な病気です。その人は、「もっとそばにいてあげればよかった。子供がかわいそうでならない。こうなると、自分の人生が肯定できない」と話します。
私はその人に言いました。
「今までのご自分の人生を後悔する必要はありません。子供のために何かをあきらめていたら、子供のために自分の人生を犠牲にしたような気がして、その子を責めていたかもしれませんよ。それに、お子さんにとって、必ずしも病気が不幸であるとも限りません。あなたに、やっとありのままの自分を受け容れてもらえて、今、お子さんは幸せなんじゃないですか。まあ、病気になる前から、そう出来たらもっと良かったですけど」と言いました。
それに対するその人の答えに、私は少し悲しくなりました。その人はこう言ったのです。
「でも前は、病気だって気付かなかったから」と。
お子さんの病気とその人の考え方には、直接の関係はないでしょう。でも私は思わずにはいられませんでした。「ありのままの自分を受け止めてもらうためには、病気になるしかなかったんだね」と。
お子さんは他の誰でもなく、自分の親に受け容れて欲しかった、認めて欲しかったんじゃないかなと、私は思います。
この方は決して悪い親ではありません。子供を愛しているし、子供のための苦労も厭いません。誰からも慕われる素敵な人です。でも、この方がもっと早くから我が子をありのままに受け容れてあげることが出来たなら、同じ病気を発症したにしても、違ったものになっていたんじゃないかと思ってしまうのです。
親が完ぺき主義だったり、子供に対する要求が高すぎると、子供は自分が完璧でないといけない、期待に応えないといけないと感じてしまいます。
要求が高すぎるだけなのに、期待に応えられない自分はダメな人間だと感じるようになります。答えられるはずのない要求です。本当は全然ダメじゃないんです。
親の期待に応え続けた子供は、当然優秀な大人になります。でも、全力疾走はそう長くは続きません。いつも緊張し、自分を追い込んでばかりいては、いつかは疲れ果て、自分が壊れてしまうのです。
こんな人はリラックスの仕方を知りません。場合によっては、頑張らない人を見下してしまうので、頑張らない自分を許すことが出来ません。

治療院アジアート

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