究極の治療
うつやパニック、強迫性障害、対人恐怖、アルコールや薬物依存など、心の病の根本的な治療には、自分がとらわれている価値観を、大きく変える事が必要条件だと思われます。
非現実的に思えるかもしれませんが、私はこれさえすればほとんどの人が劇的に改善するのではないかと考えている治療法があります。
それは、インドに行き、マザーテレサの「死を待つ人の家」でボランティアをすることです。戦場にある難民キャンプや、内戦で親を失った子供達の孤児院でもいいでしょう。
ふざけているわけではないし、自分ではそれほど唐突な考えとは思っていません。
世界を見渡しても、私たち日本人ほど、恵まれた国民は少ないでしょう。
多くの国では、本人の努力や才能ではどうにもならない理不尽な搾取や暴力が横行し、階級や性別によって人としての尊厳は無視され、踏みにじられています。
それに比較し、日本では、人間としての基本的な権利や安全が確保され、人間の尊厳は守られているといえます。
私たちは、安全なところにいるがために、自分のことを過剰に気にし過ぎるのではないでしょうか。
衛生状態の悪い国に花粉症はありません。免疫系が本当の敵である細菌と戦うのに忙しいため、花粉などという、実際には身体に何も悪さをしない友人をかまっている暇はないからです。
日本のように外敵がいなくなると、あまりに暇で免疫系は花粉君にいちゃもんをつけ、過剰反応して、何とか自分の身体から排除しようと頑張るわけです。本来自分を守るはずの免疫系が、不要に自分を攻撃しています。何かを間違えている。
心の病の多くも、自分で自分を攻撃しています。守る必要のないものを守ろうとし、攻撃する必要のないものを攻撃してるように見えるのは私だけでしょうか?
インドに行けば、日本で自分が気に病んでいたようなこと、例えば、「一流大学をでているか」「会社で出世しているか」「お金を沢山稼いでいるか」「人付き合いが上手か」「人生を上手く渡っているか」などで人間の価値を評価されることがどれほど理不尽で、意味のないことかを思い知らされるはずです。
自分がこれまでこだわり、大切だと思っていたようなことが、どれほどちっぽけでくだらないことかを教えてくれるに違いありません。
そして、もうひとつのポイントは、人のために働くことです。
心の病を持った人は、自分のことを過剰に気にする傾向があります。
そして、自分を気にしているわりには、「人が自分をどう思うか」「自分はちゃんと評価されているか」「人から責められるんじゃないか」「嫌われるんじゃないか」などと、他人の眼を基準にして自分を見ているのです。
自分を評価するための基準が、人間の本来求められる姿ではなく、理想の自分との比較になってしまい、明らかに視野が狭くなっています。
「死を待つ人の家」のようなところに行けば、人間本来の姿を見せ付けられます。
そして、そこで何らかのお手伝いをしようとすれば、自分のことにかまっている暇はありませんし、自分がどう思われるかなんて気にしている場合ではありません。
人間や命に対する、強烈な感情が自分の中にあふれてきて、少なくとも、今まで自分が気にしてきたようなことには、全く気が回らなくなるはずです。
彼らのために、何でも良いから自分の出来ることをしてあげたい。もしそんな気持ちになれたら、心の病は少しずつ癒されていくのではないでしょうか。
あまりにも辛い現実を見て、無力感にさいなまれることはあるかもしれません。でも、今まで感じていた無力感とは違ったものになるはずです。
そして、他者のために働くことは、与えるよりもずっと多くのものを受け取ることだと知ることも出来ます。そんな体験は、人生の宝物になるに違いありません。
やってあげたから感謝される。そんな見返りのようなものではなく、笑顔をなくしていた子供が笑ってくれた。今にも死にそうだった人が歩けるようになった。
そんなご褒美は、私たちが普段期待してる見返りとは異質の、人間の根源的な喜びに繋がります。それを喜べる自分を発見すれば、心の病も吹き飛ぶでしょうし、人生の意味も変わるでしょう。
自分にはそんなことは出来ないと感じるかもしれませんが、つらい心の病気に、現状を何も変えないまま、意志の力だけで打ち勝とうとするよりは、ずっと手っ取り早い方法ではないでしょうか?
あまりにも究極的な話で、本当に悩んでいる人の参考になるかどうかはわかりませんが、自分にばかり向くのをやめて、もっと他者に目を向けることは、回復のための一助になると思います。次回は別の方法をご紹介します。
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