「人がどう思うか」を考える
人の目を気にする人は多い。
「自分の言動や行動を、相手がどう思うかを前提に決めてきた」そう言った患者さんがいました。
自分の意見は言わず、人に合わせてばかりいる人が増えているように感じます。
人から嫌われるのを恐れるあまり、自分を押し殺してしまっている人のことを、私はとても、もったいないと思う。
別の意見を言って嫌われるのは、言うのが悪いんじゃなく、言い方が悪い場合じゃないでしょうか。私なら、自分と意見が違っても、例えどんなにおかしな意見であろうと、自分の思いを伝えて欲しいと思います。
そんな人は、「自分よりも、人を優先してしまう」と考えているかもしれない。人のことばかり考えて、自分は後回しだと感じているかもしれません。
本当にそうでしょうか?そんな人は、「相手のことを考えている」のではなく、「相手が自分をどう思うか」だけを考えているように見えます。
こうなると、相手のことは見えなくなるし、自分自身もどこかへ行ってしまう。結局何もわからない。そんな感じになるんです。
私は「相手が何を考え、どんなことを感じているのか?」にはすごく興味がありますが、「相手が私をどう思っているか?」についてはあまり興味がありません。たぶん相手の人も、「自分が、(私のことを)どう思っているか」なんて興味ないと思うからです。
そう、相手にとっては、私のことなんてどうでもいい。だから、みなさんも気にする必要はないと思うんですが、いかがでしょう?
そりゃ、私だって好かれたい。良い人だと思われたい。まだ若く、純真だった高校生(か中学生)の私は、学校の卒業文集の寄せ書きみたいな物に、「誰からも好かれる人になりたい」なんて間抜けなことを書いた事実もある。
あの頃は、そんなことが可能だと思っていたんです。でも、大人になって思い知らされました。そんなことは絶対無理。どんな聖人でも無理。人の好き嫌いは組み合わせによるもので、必ずしも人間性や人徳で決まるのではなくて、双方の事情が作用するからです。
人によっては、「あの子は偽善者だから嫌い」(たぶんその人にとって本当の善者など存在しない)とか、「あの子は美人だから苦手」とか、「あいつはエリートだからムカつく」とか、普通なら好かれるはず?の条件がネックになる人もいるし、
「あの人の冷たいところが素敵」とか「我儘なのがかわいい」とか、「人としてはどうかと思うけど、自分を頼ってくれるから好き」とか、困ったところ?に魅力を感じる人もいる。
どんなに頑張ったって、人の気持ちを思い通りにはコントロールできないわけだし、自分じゃない人間を演じて好かれても嬉しくないし、自分を嫌いな人のことは、大抵自分も好きじゃないし。
好きな人から好かれるために、自分を良い方向に変えようと努力するのは良いけど、自分の個性を殺してまで好かれる必要があるでしょうか?
愛情は交換条件ではないし、相手に合わせたから好かれるとか、違う意見を言ったから嫌われるとか、そんなものではありません。自然に任せる。自分らしさを爆発させて、それを許してくれる人と付き合い、嫌な人は離れていく。
恋愛関係となれば話は別?かもしれませんが、相手が私を好きじゃなくても、私が好きならそれで良い、そんな風にも思うようになりました。(これが出来るようになるには転機がありました。それはまた後日)
そう、私は相手の気持ちより、自分の気持ちを重視します。特に患者さんに接している時ですが、「自分が相手に好かれているか?」ではなくて、「自分が相手に対して誠実でいられたか?」そこに気持ちを向けるように努力しています。
誰にとっても、大切なのは自分の気持ちです。それ以外、自分でコントロールできるものはないし、他人の気持ちを想像しても、本心わからないので考えても無駄です。
それができるようになったら、私はすごく楽になりました。
会社とか、学校とかで、嫌でも付き合わなきゃならない人はいます。そこで大切なのは、自分の基準で行動すること。
自分を攻撃する人には、どんなにその人の言うとおりに自分を変えても、受け容れてもらうのは無理なことが多い。だから努力するだけ無駄です。
だから相手に合わせるよりも、自分が納得する行動をしましょう。
嫌いだからといって相手を無視する。それは大人としてどうかと思いますよね。だから表にでる行動は、今までと同じかもしれない。嫌いな人にも無理して笑顔を向ける。でもそれは好かれるためではなく、ごく普通の大人としての行動で、自分が嫌な思いをしないで済むための努力。主体は相手ではなく、自分に置くことです。
そうなれば、気分的にすごく楽だし、自分自身の成長にも繋がります。他人の目ではなく、自分が正しいと思うことをすることが大切ではないでしょうか。
0コメント