死にたくなる理由?
先日、カウンセラーの方が書かれた、うつから脱出するための本を読みました。実際のクライアントの方との会話やメールなどを、時間の経過を追いながら具体的に例示し、うつから立ち直っていく課程で必要なこと、患者さんが陥りやすいポイントや気持ちの変化、その理由などがとてもわかりやすく書かれています。この本の趣旨は、「うつは疲労である。だから充分に休まなくてはいけない」ということなのですが、私の印象に残ったのは、この本に登場する患者さんの「死にたくなる理由」でした。「自分はいじめに負けた弱い人間だ」「飲み会でおもしろいことの一つも言えずに場をしらけさせる」「頭が悪くて仕事を覚えられないために周りに迷惑を掛ける」「出身大学のランクが低い」そんな気持ちになる度に、彼は死にたくなります。現実には、この患者さんは一流の大学を出ていて、いじめにも子供なりに立ち向かっていたそうで、自分に求める理想が高すぎ、自分を必要以上に卑下していただけでした。うつになる人は、自分に厳しい(他人にも厳しい)人が多いので、高すぎる基準を自分に課し、理想の自分じゃないと受け容れられないようなところがあります。ですから、この患者さんのように、本当は優秀なのに、自己評価が低すぎ、自分を不当に責めてしまう。そんな人が多いことも事実です。この本からも「あなたは本当は立派な人で、今は病気だから一時的にダメな人になっているかもしれないけれど、時間が経てば元の価値ある人になれるんだよ」そんなメッセージが感じられます。でももし、私がこの患者さんに向き合ったとしたら、どうしても伝えたいことがあるのです。彼が正すべき誤りは、自分のことを低く見過ぎていることではなく、人として生きることの意味を低く見過ぎていることの方なのではないかと私は思うのです。この患者さんがとらわれている価値観は、ダメな奴だったとしたら、あるいは人の世話になり生きているとしたら(人に迷惑を掛けていると表現する人もいるかもしれない)そんな人は生きる意味がないと思っていることです。自分はそれに該当するから生きていても意味がない、そう感じるのです。私にもその気持ちは十分に理解できますが、その考え方に同意は出来ません。もちろん、努力することで、ダメな奴が立派な人になれれば素晴らしいことだし、人の世話にならずに生きられればそれにこしたことはないでしょう。でも、それが無理だとしたら、生きる義務や権利がなくなってしまうのでしょうか?高学歴で、話もうまくて、見た目も良くて、性格も良くて、仕事もばりばり出来て、決して失敗は犯さず、社会に貢献している。そんな人しかいなくなったら、世界の人口は激減し、ひどく味気ない世の中になることでしょう。私はダメな奴にも、人に世話を掛ける人間にも生きる意味があることを知っています。そして、どんな人間にも生きる権利があると同時に、天から与えられた今の自分で、自分の人生を歩んでいく義務と、担うべき役割があると思っています。告白すれば、以前の私も、呆けたり、人の世話になったり、おしめをしなければならないような状態になったら死んだ方がましだ、生きていても人に迷惑を掛けるだけだ。そんな風に思っていました。でも自分が老人病院で働くようになり、実際にそんな状態にあるお年寄り達と関わるようになって、その考えが間違っていたことを痛感しました。知らない人からすれば、その人達は既に人としての役割を終え、今や何も生み出していないように見えるかもしれません。ただ生きているだけの、無駄な時間のように思える人もいるでしょう。でも実際には、私がそんな患者さん達にしてあげられることはほとんどないけれど、教えられること、もらえるものは沢山あります。私の体験したエピソードを紹介したいと思います。トラちゃんは私が病院を辞めてから入院してきた90歳を越すお婆ちゃんです。元助産婦さんでしゃきしゃきの江戸っ子。軽い痴呆があり、つかまり歩きは出来ますが、自立生活は無理なレベルです。私は仲の良かったヘルパーさん達から、トラちゃんがなかなか愛すべきお婆ちゃんであることを聞いていましたので、病院に遊びに行ったときに話しかけてみました。私「こんにちは。お名前はなんとおっしゃるんですか?」トラちゃん「あんた、野暮なこと聞くもんじゃないよ。あたしのことは誰でも知ってるよ」(うる覚えですが、こんな感じのお返事をいただき、私は笑いました)その後、私がトラちゃんの病室(四人部屋)の前を歩いていると、中から「痛いよー、痛いよー」という声。病室をのぞき込むと、その声の主は私が働いている頃からいて、そこそこ元気なんだけど、精神的に不安定になっている患者さんでした。その患者さんのベッドサイドに、トラちゃんが立っていてます。トラちゃんはその患者さんの手をさすりながら、「大丈夫かい? 大丈夫だよ」とそれは優しく声を掛けていました。私はそばに行ってトラちゃんに話しかけました。私「優しいんですね」トラちゃん「人間お互い様だからね。自分の出来ることをやってやりゃー良いんだよ」トラちゃんにとっては当然のことなんです。今までそうして生きてきたことがうかがえます。私はトラちゃんのかっこよさに感動し、涙がちょちょ切れました。そして心に誓ったのです。こんなお婆ちゃんになりたいと。痛がっていた患者さんはまだ比較的若くて、症状も安定しています。様子を見たところそんなに苦しんでいる風ではなく、たぶん不安から痛みを感じていたのでしょう。トラちゃんの励ましで、落ち着いたようで、私に痛みを訴えることはありませんでした。この患者さんよりトラちゃんは20歳くらい年上で、足下も危なっかしいし、どう見てもトラちゃんの方が手助けを必要としているはずなのです。トラちゃんは自然体で生きています。自立生活が無理になり、入院して人の世話になっている自分の境遇を嘆いたりせず、ただその時、自分にできることをするだけです。 つづく
0コメント