孤独について考える
先日、寂しさを訴える方と話したのをきっかけに、孤独感について考えてみました。孤独感にもいろいろな種類がありますが、その方が孤独を感じている根本的な原因は、子供の頃、親から十分な愛情を受けられなかったことだと思います。その部分については、今更変えようがなく、どうすることも出来ません。ではどうしたらよいのでしょうか?私はその方のように「この先どう生きていけばいいのかわからない」とか、「常に一緒にいてくれる人がいなければ不安」とか、そんな風には考えたことがありません。その理由を自分なりに分析してみると、その方の孤独の原因は、自分の幸せを、人に依存しているからではないかと思うのです。自分を心から愛し、いつも一緒にいてくれる人の存在こそが自分を幸せにしてくれると信じている。そんな風に考えている人は沢山いると思います。でも考えてみてください。誰かに幸せを依存していると、その人が現れなければいつまでたっても幸せになれないし、そんな人が現れて自分を愛してくれたとしても、何らかの形でその人を失えば、とたんに不幸になってしまいます。相手に依存していると、たとえそばにいたとしても、相手の気持ちが自分以外に向かっているだけで、浮気はもちろん、仕事に向かっているような場合にも、ひどい孤独を感じてしまうかもしれません。どんなに親しい間柄でも、相手を自分の思うとおりにコントロールすることは出来ませんから、そのために頑張れば頑張るほど、どんどん相手を追い詰めて二人の関係が窮屈になり、一緒にいると苦しい、そんな状況にもなりがちです。でも、自分の幸せは自分自身で作り出すものだと考えていれば、状況は大きく変わります。もちろん、自分で作り出すと言っても、他者が必要ないというわけではなくて、私を含め、大部分の人にとっては、他者との関係の中にこそ幸せは生まれてきます。でもそれは、相手が与えてくれるものではなく、自分の生き方が反映されたものになるはずです。孤独を人に埋めてもらおうと思えば、相手に多くを求めますし、その人を失いたくないと思えば、自分も我慢や無理をするかもしれない。でも自分が幸せで、誰かといれば、より一層幸せになれる、そんな状態であれば、相手に多くを求めずに済みます。適度に人に期待したり、頼ったりするのは良いことですが、過剰な期待や依存は、誰にとっても重く、結果的に裏切らざるを得なくなるのがオチではないでしょうか。私はその孤独な方に、どんなことを言ってあげられるでしょう?「そのうち、心から愛してくれる相手が現れますよ」なんて無責任なことは言いません。現れる可能性は充分にあるけれど、孤独な人がすべきことは、ただ待つことではないからです。そこで考えました。人に幸せにしてもらおうと思うとなかなか上手くいきませんが、自分が人を幸せにしてあげようと思えば、それなりに実現可能です。人のために何かをすれば、相手から直接何かが返ってこなかったとしても、自分が得られるものは必ずあります。ポイントは、してあげた相手から、自分がした分だけ返ってくるのを期待しないこと。*情けは人のためならず、必ず自分に返ってきます。(*情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。〔補説〕 近年、誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある)恋愛関係以前に、人間関係を作ることです。良好な人間関係が作れれば、運命の人に出会えなかったとしても、幸せになれるはずです。良好な人間関係を作るコツ。人から受け容れてもらうためには、まず自分が先に相手を受け容れることです。受け容れてもらう人より、受け容れる人の方が格好良くないですか? 若い頃にはわかりませんでしたが、どうせ相手に受け容れてもらった後に受け容れるのなら、先に受け容れた方が勝ちだと、今の私は思います。そして何より、人に期待するのは止め、自分の人生を楽しむことです。人に幸せにしてもらおうと思うから、一人が辛いのです。自分の人生が楽しければ、一人でいることは苦痛ではなくなります。まず、自分は何をしているときが楽しいのか、何が自分を充実した気分にさせるのか、夢中になれることは何かを考えてみましょう。もちろん、恋人や家族と過ごす時間が一番楽しいかもしれませんが、ここで考えるのは、自分が主体になって行動する種類のものです。スポーツやダンス、陶芸や書道、お茶やお花、読書や観劇などの趣味でも良いし、人に喜ばれることをしたいのならボランティアをしても良いし、興味のある仕事に転職するのも良いですよね。なにも思い浮かばない人は、行動して探てみましょう。そんなに難しく考える必要はありません。飽きたら他のものに変えれば良いんです。一時的に夢中になるだけでも、充分楽しめます。何かを始めれば、そこで何かしらの出会いがあります。新たな発見や、気持ちの変化があります。新たな経験が生まれます。別段何かが身につかなくても、後になったら無駄金を使ったように思えることでも、反省しか残らないように思えても、やらないよりはましです。端から、見たら最高に幸せそうな環境の人が、本人も幸せを感じているとは限りません。貧困や差別などの、明らかに不幸な環境にいる人でも、本人が必ずしも不幸を感じているとは限りません。幸せや不幸は、もちろん環境にも左右されますが、最終的にはその状況の中で、自分が何を選択して生きるかにかかっているのではないでしょうか。
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