私の目標とする人
「どんな人になりたい?」そう聴かれたら、誰を思い浮かべるでしょうか?
私が一番に思い浮かべるのは、老人病院で知り合った、二人のおばあちゃんです。
正直な話、その病院で働く前は、私は祖父母を持たないこともあり、お年寄りと接したことがなくて、興味も、お年寄りのお世話をしたいなんて気持ちも全くありませんでした。
ですから、痴呆老人なんて怖かったし、ボケてオムツをされるくらいなら、早く死んだ方が良いと思っていたんです。
でも、私はこの老人病院で働けて、本当に良かったと思います。とても多くの、大切なことを患者さんたちから学びました。
老人病院で働いていたなんて言うと「偉いわね、私にはとてもできない」なんて言われることがよくあります。お年寄りの相手は、慈善的、犠牲的精神がないと出来ないものと思われているようです。
はっきり言って、それは大きな誤解。めちゃ楽しいんですよ。声を上げて笑っちゃう的な意味の楽しさであり、皆さん今まで生きてきた歴史がるから、いろんなことを考えさせられる上に、感動することも沢山ありの、とにかく、人生観が変わるほどの何かがあります。
働いている人たちも、決して献身的な人たちってわけじゃなく、私が仲良しだった介護の若い連中なんて、どちらかと言えばやんちゃな普通の若者です。
だって、私たちがお年寄りに何かをしてあげられると思いますか?私なんて、リハビリをするとはいえ、ほとんどの方がいまさら自立生活は望めない。だったらせめて、この時間は、楽しく過ごして、何とか笑ってもらおう。その程度のことしかできません。でもお年寄り達は、私たちの人生の先輩として、生きるとはなんなのかを教えてくれるんです。
そう、今日は私の尊敬し、目標とするおばあちゃんのお話です。
ばあちゃんが入院してきた時は98歳でした。大腿骨の古い骨折があり、基本的には寝たきり、車椅子での座りきりかな?で、オムツをしていたし、歯もなかったし、耳もそれなりに遠かったけれど、普通の会話は問題なくて、でもちょびっとだけボケていました。
代表的な、ばーちゃんとスタッフとの会話(みんなばーちゃんに歳を聞くのが大好き。かわいいから)
私「ばーちゃん、歳いくつ?」
ばーちゃん「うーん、120か30」
さば読みすぎ。その後、年が明けると131になり、遂には151になりました。ギネスもの。どうも歳だけではなく、数字があやしかった。体重を聞いたときも、151って言ってました。
ばーちゃんは歯がないのでミキサー食でした。食べ物の形がなく、どろどろで、見た目はまずそう。私は「こんなもの食べさせられてかわいそう」なんて思って見ていたわけです。
でも実際には、ちゃんとおかずごとに分けてミキサーされていたし、火傷するほど熱々でした。ばーちゃんはそれをふーふーしながら食べ、
「おいしいねー。あたしゃ幸せだよー」ってよく言ってたんです。
私はなぜか感動して、「あー、普段患者さんに接することがない、栄養士さんや調理師さんに聞かせてあげたいな」と思ったものです。私が聞いても感動するくらいだから、彼らが聞けば、どんなに励みになるでしょうか。
シーツ交換の時間には、起こせる患者さんは、みんな車椅子でリハビリ室に集められ、私が順番にリハビリしていくわけです。そんな時ばーちゃんは、ひとりで手をたたきながら歌を歌っていました。炭坑節とか、そんな感じ。すごくかわいいの。
それで時々、私たちを呼びます。「おねーちゃーん」
私はばーちゃんに顔を近づけて、「なあに?」
ばーちゃんは「お前かー、お前はいい子だねー」と言いながら、柔らかい手で私のほっぺを撫ぜてくれます。
用事を聞くと、「退屈だったんだよー」とかそんな感じ。でも、私たちはばーちゃんに用事がないことくらい知っています。いつものことですから。でも、ばーちゃんに呼ばれると、みんな駆けつけます。
ばーちゃんは何かをしてもらったとき、「すいません」とか「申し訳ない」じゃなくて、「ありがとよ。お前はいい子だね」って言ってました。私はこれだと思いましたね。
ばーちゃんに、「いい子だねー」って言ってもらって、ほっぺを撫でてもらうと、誰もがとても幸せな気持ちになれる。そんなパワーを、そのおばあちゃんは持っていました。
わたしが目標とする、もう一人はトラちゃんです。実は私は1度しか会った事がないんですが、私が病院を辞めてから入院してきた人で、ちょっとした名物おばあちゃんでした。
私が病院へ遊びに行ったとき、その人が誰かは知っていたんですが、何しろ初対面なので、私は名前を聞いたわけです。
私「こんにちは。お名前はなんておっしゃるんですか?」
トラちゃん「野暮なこと聞くもんじゃないよ。あたしゃここらじゃ有名なんだよ」
はっきりとは覚えていませんが、そんな感じの答え。実際、彼女は助産婦さんで、この辺で知られているのは本当らしく、粋なばあちゃんです。
そんなトラちゃんは96歳。ボケは軽くありましたし、何かに掴まっても、一人で歩くのは無理な状態です。
私がトラちゃんの病室の前を通った時、中から「大丈夫だよ、どうしたんだい」と優しい声が聞こえてきました。
病室に入ってみると、明らかにトラちゃんよりは元気で、としも20歳くらい若い患者さんが、ベットで「痛いよー痛いよー」とつぶやいています。この方は口癖みたいで、不安になるとこんな感じになります。具体的にどこかが痛いわけではなさそう。
トラちゃん、めちゃかっこいいです。私はそのとき、「ああ、こんなばあちゃんになりたい」と思ったわけです。
おばあちゃん達が生きてきた時代は、私たちが想像もできないほど過酷で理不尽な時代でした。戦争や飢えや病気で、周囲の人間の多くが先立っていきました。ばあちゃんも、娘が二十歳で亡くなったそうです。
ばあちゃん達には、そんな時代を生き抜いてきた強さと優しさがあります。どちらのおばあちゃんも、すごく自然に今を生きています。感謝を知っています。自分の置かれた境遇を嘆いたり、考えても何の足しにもならないような余分なことを悩んだりしません。
今は社会に貢献してないし、生活のほとんどを他人の介助に頼っているけれど、そんな中、周囲の人間を幸せにし、私たちに大切なことを伝えてくれます。
おかげで私の考えは色々と変わりました。立派な行いをすることが大事なわけじゃない。人の世話になることは情けないことじゃない。人生は自分だけのものじゃなく、他者に何かを伝えるためのものでもある。いいことも、悪いことも。
それはこのおばあちゃん達だけではなく、他の患者さん達からも学んだ生き方の見本。
今を、自分の人生をきちんと生きること。自分の持っていないものより、持っているものの方に意識を向けること。そうやって生きている人たちは、私はかっこいいと思うわけです。
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