もう少し罪悪感について考える
罪悪感は無駄です。私は断言する。罪悪感で自分を責めている暇があったら、フォローせいと。
人は罪を犯すと罪悪感を持つ。自分を責める。それは当然のことで、自分の意志で犯した罪なら、報いを受け、それを償うべきです。
でもあなたの罪悪感はどうでしょう?あなたは罪を犯しましたか?
以前にも書いたように、あなたの大切な友人や同じような境遇で苦しんでいる人が、あなたと同じことをしたら罵倒しますか?
もし仮に罪を犯したとしても、罪悪感まみれになり、自分の活動を止めてしまうのは感心しません。
もし本当に罪を犯したなら、罪を償うことです。罪悪感を持ち、自分を責めるのは、自己満足でしかありません。自分を責め、苦しむことで報いを受けている気分になる。でも実際には何もしていない。自分を責めていたほうが安心だからです。おかしな例えですが、自分を責めていた方が罪悪感を持たずに済むからです。
実際には、何も償ってはいません。考えるべきことは、自分を責める理由ではなく、どうしたらフォローできるか、罪を償えるかです。
罪悪感から自殺する。それは逃げることであり、罪の償いではありません。罪を重ねることです。そこからは何も生まれません。
戦争で誰かを殺した人がいたとする。自分の意志ではなく、上官の命令です。この場合、罪悪感から逃れるのは難しい。でもやるべきことは、自暴自棄になるのではなく、戦争という間違いを認め、命を大切にし、平和を求めること。
わかりやすくするために極端な例えを挙げますが、その人がマザーテレサの施設に行き、貧しく打ち捨てられた命を看取る仕事に人生をささげれば、それは償いにも、本人の魂の救いにもなるでしょう。
これは決して罪ではなく、罰を受けるべきものでも、償うべきものでもありませんが、罪悪感の意味を考えるとき、避けられないようことの様に思うので、辛い例を上げます。
自分の不注意で子供を死なせてしまった親がいたとしたら、亡くなった子供を思い出すとき、痛みや苦しみではなく、いとしさや愛情と共に思い出す。短い間だとしても、子供と出会えたことを神に感謝することが出来るようになること。それが一番子供が喜ぶことだと思うのです。私なら、愛する人を苦しませる存在にはなりたくありません。
同様の苦しみを持つ親達のグループを作り、お互いの苦しみを分かち合い、手助けしあえれば、悲劇が恵みになるかもしれない。
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