人の目を気にすること
大部分の人は、人が自分をどう思うかをとても気にしています。自分がどうしたいかより、相手のことを優先して行動する、相手の気持ちばかり考えてしまう。そう思ってる人でさえ、たいていの場合は、相手の気持ちではなく、相手が自分をどう思うかばかりが気になってしまい、本当の相手の気持ちを考えることが出来なくなっています。結局、気になるのは自分のこと、大切なのは自分です。単純にいえば、他者も同じで、人のことなんてどうでも良いんです。だから、人目なんて気にする必要がないんです。自分が人を評価するとき、その人の細かい発言や、それまでの功績や、人間性や、育った環境や、そのときその人が置かれた状況などを考慮し、全人的に評価しますか?まずそんなことしないですよね。ですから、人からの評価はあまり当てになりませんし、自分の人に対する評価も同じです。自分が好きな人に対する評価は甘いし、嫌いな人には辛い。そんな程度です。別の記事で書くつもりですが、好き嫌いに関しては、相手に合わせて努力しても、変わることはまずありません。やはり気にするべきことは、人がどう見るかではなく、自分が自分を信じられるかどうかではないでしょうか。非難される必要のないことでも、非難する人はいます。人を非難するのは、非難される側の問題以上に、非難する側の問題が隠れているからです。以前いじめについて書きましたが、いじめられる子に、いじめられる要素があったとしても、いじめない子もいます。自分に自信があり、幸せに育った子供は人をいじめません。大人も同じでしょう。人から非難されようとも、自分がそれなりに正しい行いをしていれば気にする必要はありません。自分の行いが正しいかどうかの判断は、自分の友人や、信頼している人が同じことをした場合、「その人の行為を支持するか、非難するか」そこを基準に考えるとわかりやすいでしょう。仕事が上手くいかなくて上司に怒られた。自分にはもっと出来ることがあるはずなのに努力していない。そんな友人を見たら、お前はダメな奴だと言いますか? それが言えちゃう人は、ものすごい努力家か友達の少ない人ですよね? そちら側の人間になりたいですか?自分のことしか見ていないと、現実が見えなくなってしまいます。理想の自分と現実の自分とのギャップに耐えられず、現実の自分を否定している人が多すぎますが、人から全く非難されないような完璧な人間なんていませんし、そうなる必要もありません。人の意見を聞いて、直せるところは直し、直せないところは自覚して、他の部分でフォローすれば良いんです。自分じゃない人にはなれません。自分の出来ることをして、自分の目の前の課題をこなしていくことが大切です。何度も言いますが、他人の目を恐れ、他人からの言葉を変えようとしても意味がありません。美人は嫌いとか、いい人が嫌いな人だっています。その人に合わせて自分を変えれば、今まで好きでいてくれた人を失いかねませんよね?自分で変えられるのは自分だけ。それを変える原動力は、「自分がどんな人間になりたいか」であって、「人からこう見られたい」が目的になれば、それがかなえられることは決してありません。私は患者さんと向き合うとき、患者さんが私をどう思うかを気にしません。一番の理由は、患者さんにとって、私のことなどどうでも良いことを知っているからです。そうでしょう?人目を気にする人は、簡単に言えば自意識過剰です。人はそれほど真剣に人のことなど見ていないから安心して大丈夫、私が保証します。何か言われても、他人の言葉があなたを決めてしまうわけではないし、色んな意見の一部です。心ない言葉ほど発言したがる人はいるし、心にも残りやすいかもしれない。でもそれは、自分が大切にすべきものではないですし、私の実感として、成長に繋がる言葉は、実は厳しい言葉より褒め言葉です。自分を非難してくる人の方ばかりを見てそれに合わせて生きるより、自分を認めてくれる人の顔を見て、その人の期待に応えるために成長を目指していきましょう。
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